冬至のはなし
冬至のはなし
12月も下旬に入り、日の暮れがやたら早いなと思ったら、今日は冬至である(2005/12/22)。(各年の冬至の日付は、二十四節気計算を参照)

冬至の日冬至は「一年で一番昼の時間が短い日」、「太陽が一番南に下がる日」である。
冬至カボチャの日とか、柚湯の日と覚えている人もいるかな?

冬至の日付も長い間には少しずつ変化するが、ここ暫くは12/22ないしは21である。
冬至の日は、その後の12/24,25はクリスマス(&イブ)に目がいってしまうので、年中行事の行われる日としては影が薄い気もするが、暦の上ではとても大切な日です。ということで、この日に行われる行事のことなど、忘れないように書いておくことにします。いろいろを思い出してみることにしましょう。
  1. 冬至とは 
    まずは、冬至の意味について書いてみましょう。
    1. 天文学的な意味 
      冬至は、現在の天文学では
       地心における太陽中心の視黄経が270度となる瞬間
      と定義されています。
      二至二分 「なんのこと?」
      とおっしゃる方のために図を用意してみました。
      この図は、太陽の周囲を地球が公転するイメージを描いたものですが、この公転運動のために、地球から見た太陽も動いて見えます(太陽から地球を見た場合のちょうど180度逆に見えるわけです)。

      図の中に (270) といった具合に書かれた数字が、「地球から見た太陽の位置」を表しています。この数字が最初に書いた「視黄経が270度」の270です。
      地球から見て、この270度を示す線上に太陽が来た瞬間が冬至とされています。

    2. 実生活から見た意味 
      冬至の日の太陽の南中高度(太陽が真南に来たときの地平線から測った高度角)は東京付近で約30度ほど。夏至の日なら約76度ですから、随分低いことが解ります。
      冬至の日は
       「太陽南中高度が一年中で一番低くなる日」
      なのです(あくまでも北半球の話し)。

      太陽高度が一番低い日は、太陽が空にある時間も一番短い日となります。故に冬至は
       「昼の時間が一年で一番短い日」
      ともいえます。

      太陽の高度が高くならないことは、太陽から地上に届くエネルギーが小さくなることを意味します。さらにその小さいエネルギーが差し込む昼の時間も一番短いのですから、この時期は寒くなるわけです。これが「冬」が出来る原因です。

      実生活から見た意味が、やはり「実生活」には一番大切かな?
    3. 暦の歴史から見た意味 
      暦が完成の域に近づいた現在では影の薄くなった冬至ですが、暦の歴史から見るとひょっとして
       「最も重要な日」
      だったかもしれません。

      冬至は「一年の節目」として目立つ現象ですから、中国で生まれ、アジアで広く使われるようになった太陰太陽暦(いわゆる旧暦)では、前の年の冬至の日を求めるところから暦の計算が始まりました(二十四節気の誕生も読んでね)。
      測影鉄尺の使い方
      影測定中
      日本暦学の祖といわれる吉備真備が遣唐使の一行の一人としてAD735年に唐から持ち帰ったものの中にも
       「測影鉄尺一枚」
      と、太陽の影の長さを測るための道具(冬至の日を求めるためにつかう)の名が見えます。

      ちなみに、暦計算の起点となるこの前年の冬至を「天正冬至(てんせいとうじ)」と呼びます。
      天正とは、「天における正月」といった意味です。中国の古い時代には、人間達の正月(地正)は王朝によってまちまちでしたが、天正はこれとは関係なくずっと「冬至を含む月」で有り続けました。

      このため、月に割り振られた十二支は、旧暦の正月は「寅月」で、十二支の始まりである「子月」は正月ではなく冬至の置かれた十一月でした。暦の月はあくまでも「天正」から数えていたわけです。
    4. 暦の歴史から見た意味・二 
      旧暦時代には
       「朔旦冬至(さくたんとうじ)」
      という言葉がありました。
      既に書いたとおり、旧暦では暦の計算の起点。また冬至は十一月に含まれる約束。ただし冬至が十一月の何日になるかは年ごとに違っています(この辺が旧暦の最大の欠点)。

      冬至が十一月の何日になるのかを計算して行くと、およそ19年毎に冬至が十一月一日(朔日)になる年があります。
      これを「朔旦冬至」とよび、朔旦冬至が19年毎に巡ってくることは政治が正しく行われている証拠であると考えられたため、宮中では盛大な祝いが行われたそうです(自画自賛て言う気もする)。

      もっとも、「朔旦冬至」を重視するあまり、朔旦冬至とならなかった年の暦日を人為的に変更してあたかも朔旦冬至であったかのように修正することや、19年ごとの予定された年以外に朔旦冬至となる(これを「臨時朔旦冬至」という)場合は、これが無かったように修正するということが行われる、暦上の悪習まで生まれてしまいました。
      おかげで、旧暦時代の実際の暦日は正しく計算しただけでは解らなくなってしまっています。困ったものだこと・・・
    5. 易から見た冬至 
      地雷復 左は旧暦十一月(子月)に割り振られた易の卦「地雷復」。全て陰の気で覆われた十月(亥月)の後で、陽の気が仄見える様子を表した言葉です。

      太陽の力は、冬至の日まで徐々に弱まって行くように見えます(日射しは弱く、日の照る時間も短くなる)。冬至は太陽の力が一番弱まった日ということになります。
      しかし、力が一番弱まった日ということは、この日を境に再び力が強まる(甦る)日であるともいえます。このことから冬至は、
       「一陽来復の日
      として尊ばれたのでした。

     
  2. 冬至に行われる行事とその意味 
    冬至の意味を幾つかの観点から見てきたところで、冬至に行われる各種行事を見てみることにしましょう。
    先に書いた「各種の観点」を頭に置いて冬至の行事を見ると、その意味がよくわかります。

    1. 冬至南瓜(とうじかぼちゃ) 
      家の冬至南瓜
      冬至に南瓜を食べるという冬至南瓜は、広く浸透した風習である。私の生まれた東北の片田舎でも、現在住んでいる近畿の片田舎でも冬至には南瓜である(食べ方は多少異なっている気もするが)。

      「南瓜はビタミンAを多く含み、野菜の不足する冬に向けて体力をつけるという意味がある」

      なんて書かれることが多いが、栄養学的な見地というのはどうも後世のこじつけのような気がする。
      南瓜の語源は「カンボジア」経由で日本に伝来したことによる。中世以降の舶来野菜である。また南瓜の旬はといえば夏。なぜ舶来の比較的なじみの薄い夏野菜をわざわざ冬至に食べるようになったのだろう?

      日本の風習を陰陽五行思想の観点から研究した吉野裕子さんの説では、「一陽来復」のこの日、陽の気の兆しがようやく見え始めた冬至の日に、

       南方(陽の方向)から渡来した野菜(名前はずばり「南瓜」)
       夏(陽の季節)の野菜
       赤(陽の色)味がかった色の野菜

      である南瓜は、「陽の気を助長する最高の呪物」と考えられたのでは無いかと言うものがありました。

      ただ、この吉野説でも「わざわざ手に入りにくい野菜である南瓜」が使われたのかという点には疑問が残ります。
      この点について考えてみた結果、もしかすると冬至南瓜は「直会(なおらい)」の料理なのではないかと思うようになりました。神へ供物を捧げ、その供物のお下がりを神とともに食べるという神事にはよく見られる直会の儀式と考えれば、神への供物として舶来の珍しい(つまりは、貴重な)野菜をわざわざ選ぶ理由もわかる気がします。
      憶測の域を出ない考えですが、如何でしょうか?

      何にしても、「南瓜を食べなくちゃ」と今年の冬至にも思いました。
    2. 冬至粥(とうじがゆ) 
      冬至粥
      今年の冬至粥
      冬至には、冬至粥を食べるという地方もあります。
      冬至粥は、小豆入りの粥です。小豆を入れるのは小豆の「赤」によって疫神を遠ざけるという意味があります。

      これは荊楚歳時記の
       「冬至の日赤線をもって日の影を計る。共工の子、冬至に死に疫鬼となり、赤を恐る」
      から、疫神が恐れる赤い色の小豆を加えた粥となったそうです。冬至粥の風習は中国から伝来した行事ということになりますね。

      場所によっては、南瓜と小豆でいとこ煮を作るとか。
      私の実家では、南瓜と小豆とサツマイモを煮たものを作っていた。これもいとこ煮といえるのかな?
      (実はさらにどっさり砂糖を入れる。「あんこに南瓜とサツマイモが埋もれている」というのが実相であった。でも好き)
    3. 柚湯(ゆずゆ) 
      ご近所の庭産柚
      ご近所の庭産柚
      食べ物が二つ続いた後は、お風呂である。
      冬至の日には、柚を浮かべたお風呂に入ります。柚から出る精油成分が湯に溶け出し、その湯につかると身体がぽかぽかしてきます(はじめはちょっと、チクチクした感じもあります)。

      お風呂につかるということは「禊ぎ」に通じる行為だと思われます。一陽来復の日に、禊ぎして陽の気が強まることを祈るというわけでしょうか。

      柚については、南瓜と同じく「南方(陽の方角)の作物」という意味合いがあるのでしょうが、それなら他の柑橘系でもいいわけで、柚でなければいけない理由はわかりません。
      「ユズ→融通」に通じるからともいわれますが、これはきっと柚を使うことが定着した後にこじつけられたものでしょうね。
      ということで、この点は不明です。

      柚子湯それはそうと、我が家では柚を二つに切ったものを幾つか布製の袋(今年は、洗濯用ネットだったが)に入れて湯に入れます。
      でも「柚湯のイラスト」など見ると、柚が直接湯に浮いているものばかり。本当に、切らずにそのまま浮かべたりするのでしょうか?
      我が家だけが変だったりして・・・。
    4. 御暦の奏(ごりゃくのそう) 
      暦の歴史から見た冬至の項で書いたとおり、冬至は暦の計算起点であり、旧暦の十一月に含まれるものでしたから、旧暦時代は十一月一日(朔日)が翌年の暦の解禁日的な意味合いをもっておりました。
      この暦の解禁日を雅に表現したのが、「御暦の奏」です。

      毎年十一月の朔日には陰陽寮で計算、装丁した翌年の暦(天皇用の「御暦」上下二巻と各役所用の「頒暦」百六十六部)を奏進する行事が御暦の奏です。後には徐々に簡略化されてしまった宮中行事ですが、これが十一月一日であることは変わらず、江戸時代でもこの日が翌年の暦の解禁日とされていました。

      来年のカレンダーなんて誰でも簡単に作ることの出来る簡単な規則で出来た現在の暦(新暦)を使う我々から見ると、「暦の解禁日」があり、それが目出度いなんてなんだか変な話に聞こえます。
      しかし太陰太陽暦(いわゆる旧暦)は専門的な知識が無ければ容易に作れるものではありませんでしたから、旧暦時代の人々にはこの日は待ち遠しかったことでしょう。なんて言ってもはこの日にならないと、翌年一年の月数や月の日数すらよくわからないのですから、来年の計画なんてたてられませんからね。
    5. クリスマス 
      「クリスマスはキリストの誕生日」
      というのは、後世のキリスト教教会が作り上げた話です。元は中国や日本と同じく、「太陽の復活」を祈った西洋土着の行事でした。

      ま、クリスマスの話は、これだけで十分一つの話になりそうなのでその話はまたいずれ別項で。いつ書くのかな?
      ※2013年に、ついに書きました、「クリスマス」。
      お時間があれば、あわせてお読み下さい。
       → クリスマス (http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0755.htm)
余 談
今日は何日・・・
とカレンダーを見ると冬至の翌日。
冬至の話を、冬至の前日に思い立ってもすぐに書けるわけないじゃないか!
でも、冬至は来年もやってくる。まあ、いいさ。
 
日短
冬至は一年で一番日(昼)の短い日です。でも冬至の日が日の出が一番遅くて日暮れが一番早いわけではありません。
朝日が昇るのが一番遅い時期は一月の上旬、日暮れが一番早いのは十二月の上旬。
この辺の話は冬至は一年で一番日の出の遅い日か?でお読みください。
※記事更新履歴
初出 2005/12/23
追加 2013/12/23 「クリスマス」等へのリンク追加。
追加 2022/12/20 写真等追加。
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