お正月
お正月
もういくつ寝るとお正月。といっているうちに正月になりましたのでお正月のいろいろな行事について、その由来などをまとめてみましたのでお読みください。
除夜詣・初詣・恵方詣
神社 新年となって初めて寺社に詣でるのが初詣です。
古くは年籠り(としごもり)といわれ、家長が氏神の社に除夜の夜から翌朝まで籠もって歳神を向かえる行事であったものが、除夜に詣でる除夜詣と年明け後に詣でる元日詣に分かれたのが現在の初詣の原型です。
 今では日付が替わる瞬間を境内で待つものも初詣といいますが、これは除夜詣と元日詣を一度ですます省略形なのでしょうか。
 また、後述する恵方詣も初詣と言われることが多いです。
除夜詣
 「除夜」と言えば一年の無事を感謝し、古い年を送り出す夜、今は間違いなく「年末」に区分される大晦日の夜です。しかし古代では一日の区切は日没と考えられていたため、除夜詣はどちらかといえば「新年」の行事に入ると考えられていたようです。
初詣
雑煮 元旦(「旦」は地平線に日が昇った状態を表した文字なので、元旦は元日の朝あるいは午前中を意味する)に、若水を用いて調理した、祝いの雑煮を食べてから出かけるのが本来の初詣の姿のようです。
 また、初詣は本来は「元旦」の行事でしたが、だんだんと三日までとか、松の内までとか言われるように範囲が拡がって行きました。人々が忙しくなってきたのか、はたまたずぼらになってきただけなのか。どちらでしょうね?
恵方詣
「恵方」と年数の関係(年の十干で定まる)
年の十干方 角最近の年
甲・己の年甲(寅卯の間)東北東
乙・庚の年庚(申酉の間)西南西
丙・辛の年丙(巳午の間)南南東
丁・壬の年壬(亥子の間)北北西
戊・癸の年丙(巳午の間)南南東
 陰陽道の影響を受けて「歳徳神」のいる方角の寺社にお詣りする行為を恵方詣といいます。
 恵方は元々は正月の神の来臨する方向であったが、九星術流行とともに「歳徳神」の所在する方向と考えられるようになりました。
宮詣 恵方はこの一年、何事につけても吉となる方向であると言われ、「明の方」とも呼ばれます。
 恵方詣は、住居の恵方に当たる神社・寺院に詣でて新たな一年を迎えられたことに感謝する行事です。江戸時代から盛んになり定着したものです。
 初詣は元々「歳神」を向かえる行事ですが、これと陰陽道の「歳徳神」が混同されたような気もします(最後の部分は、私見です)。
 なお、恵方については恵方ってどっち? (http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0430.htm) でもう一度扱っています。そちらもお読み頂ければ幸いです。

正月の行事・風物
門松と注連飾り(しめかざり)
門松 門松は歳神(様々な福をもたらす神)を迎えるための憑代(よりしろ)です。平安時代末期には門戸に松を植えたという記録があります。常緑の松は強い生命力の象徴であり、不老長寿の象徴です。地方によっては松に代わって榊、竹、椿、樒などを用いることもありますが、いずれも常緑という点で「長寿の象徴」ということにかわりはありません。
 門松は年末に飾り、歳神を迎え正月六日(あるいは七日)にこれを外すことから、この日までを松の内といいます。この間、家に飾った門松に歳神が宿っているのですから、家は神の宿る聖なる場所となります。ですから聖域と俗界とを分けるためにその境界に張る注連縄を張ります。これが正月の注連飾りの原型です。みんなきちんと意味のあるものなのですね。

後日追記(2008.06.09)
 江戸の町での門松の取り払いは元は十六日だったそうです。これが七日に変更となったのは明暦の大火の影響です。

明暦三年(1657)の大火事の教訓から延焼の拡大を抑えるため、乾燥して燃えやすくなる松飾りなどは早め(七日)に撤去するようにという町振れが寛文二年(1662)に出され、これ以後七日には松飾りが片づけられるようになったとのこと。
 松飾りを焼く左義長を小正月に行う地域がまだ沢山ありますが、これなどはこの町振れ以前の習俗を残したものかもしれませんね。


お年玉と鏡餅
 大晦日に訪れた歳神は、人々に新たな生命力・福をもたらします。この生命力・福を「魂」といい、歳神によって与えられる魂なので「歳魂(としだま)」と言います。さて、この歳魂を具現化したものが餅(それも丸い餅)です。
 丸餅を神棚に祭り、歳神の霊力(歳魂)をその丸餅に宿し、これを家人一人一人に分け与えて食して霊力を体に取り込むという考えがあり、これが「お年玉」の元ではないかと言われています。
 鏡餅に関しては「神棚に祭った丸餅」がその始まり。そのうち、いろんな縁起物を添えて今の形になりました。
お節料理
お節料理 「お節(おせち)」といえば、今では正月の料理という意味で使われることが多いこの言葉は元々は「御節供(おせっく)」の略です。季節の節目に神に供えるものということで「節供」と言います(今は「節句」と書くことが多いですが本来は「節供」です)。
 お節料理は三箇日あるいは松の内までに大切な人を招いてもてなす料理でもあり、この饗応自体を「お節」あるいは、「お節振舞」と言ったそうです。
 お節料理は目出度い材料を用いた「晴れの料理」です。また、火を使わないで食べることの出来る料理でもあり、年中忙しい竈の神様と女性を休めるための料理とも言われます。
七草
 「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」と列ぶ春の七草。正月七日には、この七草を炊き込んだ七草粥を食べると無病息災で一年を過ごせると言います(ここから先は「人日の節供」で詳しく採り上げていますので、お読みください)。
小正月(公の正月と民間の正月)
 元日から十四日までを「大正月」、十五日からを「小正月」と呼ぶことがあります。
 都市部では大分廃れてきていますが、地方では小正月の行事がかなり残っているようです。この小正月、どうやら古代の正月の名残らしい。
 小正月は別名、女正月とも言われ、年末年始忙しく立ち働いた女性たちのための行事とも言われます。
 小正月については、いろいろとおもしろい話しもあるので、また別の機会に一話書いてみようと思います。詳しくはそのときに(いつになることやら?)。
盆と正月
 「盆と正月が一緒に来たようだ」という言葉がありますが、まさに盆と正月は日本の年中行事の双璧をなす重要行事。そして、実は双子の様な行事なのです。
 小正月の項で書いたように、古い正月は一月十五日。そしてお盆は七月十五日(旧暦)。
 ちょうど半年を隔てた日付で、行事の内容も大変類似したものが多いです。現在では盆は仏教色が強く、正月は神道色の強い行事となっていますが、これは仏教が広がって以後のことで昔はどちらも先祖の霊を祭る大切な行事でした。今でも正月に墓参りをする地方は多いです。
 皆さんのところでも、盆と正月の行事の類似点を探ってみてはいかがでしょうか。
余 談
大盤振舞?
書き初め 鎌倉時代以後、武士社会では饗応の宴を椀飯(おうばん)と呼びました。そして年頭に主君など目上の人物を招いて行った節振舞を「椀飯振舞(おうばんぶるまい)」と呼んだそうです。
 「今日は大盤振舞(おおばんぶるまい)だ!」なんて言うことがあると思いますが、どうやら語源は椀飯振舞のようですね。
昔の思い出
 昔々、まだ子供だった頃、我が家では大晦日の深夜になると、一家で近所の神社に出かけるのが常でした。近所と言っても3kmくらい離れており、雪の道をてくてくと歩いて片道約1時間の道のり。とても一人では歩けないような暗い森の中の道を歩いてお詣りに行きました。
 お詣りの行き帰り、一家でいろいろな歌を唱い、他愛ない雑談を交わしながら歩きました。今では楽しい思い出です。

※記事更新履歴
初出 2001/12/30
修正 2021/01/01 (画像修正・追加)
修正 2022/12/22 (文体修正、画像追加)
修正 2023/01/01 (誤字脱字等修正、リンク追加)
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