かわうそ日記 ( 2009年08月 ) こよみのページ こよみのページ
処暑の風  (2009.8.23[日])

電柱の上の鳶耕作を止めてしまって、三年くらい過ぎているでしょうか、すっかり深い葦の原に戻ってしまった田圃に立った古びた電柱の上から鳶が一羽、行き先を探す私を眺めていました。

今日の午後、眠気に負けて昼寝をしました。休日の昼寝です。
折角の休みの日を昼寝に費やすのはもったいない、とは思ってもまぶたの重さには抗し切れませんでした。

目が覚めると、時計の針は三時を少し回ったところ。
昼過ぎにどうにも抗しきれない眠気に襲われて、寝てしまおうと思ったのは一時頃。
時計の針の動きからすると眠っていた時間は二時間あまり。
夢の中の時間ではたっぷり半日を過ごした気がしましたが、時計の示す時間ではわずか二時間が過ぎたばかり。

夢の中の感覚からすれば、もう一日が終わってもしかたがない時刻のはずが外はまだ明るいまま。なんだかとても得をした気分です。
得した時間の使い道に午後の散歩を選んで家を出ると、青い空が頭上に広がっていました。

田圃の間の畦道をたどって海に向います。歩くうちに次第に道の草は深くなり、やがてそのままでは進めなくなりました。
前方には、深い葦の原に戻った休耕田が広がっています。葦の原の間には古びた電柱が一本。

草に道を阻まれて新しい道を探している私を、電柱の上から眺めていた鳶が見飽きたように西を向くと、それが合図だったかのように西から風が吹き始めました。
辺りに残った昼の暑さを吹き払う秋の風です。

吹き始めた風に足下の草が揺れ始めたとき、私は風に向かって歩き出しました。散歩の続きは風に向かって。
そう言えば今日は処暑。
暑さをおさめる処暑の風を感じて、また得した気分になって日曜の散歩を続けました。


アカテガニ  (2009.8.6[木])

お日様がねぐらの土手の向こうに沈んだ回数で言うと
二回か三回前、いやもっと前だったかも知れないけれど、もう思い出せない。
大体それくらい前だったと思う。
久しぶりにうまいキリギリスを捕まえることが出来たあの夕方だった。

お腹一杯になって機嫌をよく泡を吹いていたときに、なんだか土手を下っていきたくなった。
鳥や狸から身を隠すには手頃な草と、硬いけれど程々に湿った素敵な穴があるこの土手から、何で下りなければならないなんて思ったのだろう。
そう言えば、何かの声を聞いたような気がする。
何を聞いたのかは忘れてしまったけれど、何か聞いた気がする。
なんだったかな・・・まあいい。

結局、素敵な穴のあるあの土手を下りて、今は硬い岩の上にきてしまった。
いや、さっき通り過ぎたフナムシが言っていたな、岩じゃないって。
たしか、そう、コンクリートとかなんとか。
まあいい。岩だって、コン何とかだって、どっちだって。

それよりなんだって、あのフナムシを挟んでおかなかったのかな。お腹はぺこぺこなのに。あの夕方に食べたキリギリスのあとは何にも食べていないというのに。
まあいい。今はとにかくここにいないといけない気がする。
もうすぐ何かがやって来る、その時まで。

  ここが待つべきところだ

甲羅のどこからかそういう声が聞こえてくる。
あの土手を下りろとささやいた声と似た声だ。
お日様が大きな水の向こうに沈むと、その声がどんどん大きくなってくる。

  もうすぐそこまで来ている

何がそこまで来ているんだろう?
なんだか解らないけれど、待たなくてはいけない。
仲間達もやって来た。
みんな同じようにそわそわと、大きな水の近くのこの岩(みたいなもの)の上に集まって来た。

  月待ち

甲羅の中から、知らない言葉が聞こえてきた。いやずっと昔、生まれる前に聞いた言葉だったかも知れない。
月、どうやらそれがここで待つものの名前のようだ。
お日様が隠れた逆の方から、それがやって来た。お日様みたいに丸い奴が。
そいつがなんだか解らないけれど、仲間達はそいつに向かってハサミを振りだした。
月を待つ場所そして、いつの間にか自分もハサミを振っていた。

ハサミを振りながら、ずっと忘れていた味を思い出していた。
卵の中で味わった懐かしい塩辛い水の味を。
ハサミの先にある丸い月と一緒に、
大きな塩辛い水が満ちてきた。

 今夜は満月

甲羅の中から声が聞こえた。


浜朴の季節  (2009.8.3[月])

家から10分も歩けば川岸に出ます。
川岸には夏になると濃い緑の葉を茂らせる灌木が沢山生えていて、夏のこの時期になると黄色い花をその枝につけます。
浜朴(はまぼう)の木です。

この辺りの川岸は、川岸といいながら半ば海の一部。
川岸に沿って 3分も歩けばそこはもう海。
川の水もこの辺りでは大分塩気の濃い水のはずです。
こんな場所ですから、他の木々にとってはあまり住みやすい場所ではないのでしょう。川岸には浜朴の他にこれといった木は生えていません。


ハマボウの咲く河口

ハマボウの花
浜朴の花を初めて目にした時には、見たことのないなかなか立派な花が、薄汚れた木に咲いている、と不思議に思ったことを憶えています。

浜朴の名誉のために言っておきますが、薄汚れて見えたのは少し前の大雨での水が運んだゴミや泥を浜朴がかぶってしまっていたからです。

ともあれ、その時までは見たことの無かった珍しい花が、すっかりなじみの花となり、今では川岸に浜朴の黄色い花が見えるようになると夏が来たなと感じるようになりました。
職場への行き帰りにこの川岸に沿った道を車で走りますが、今朝は車の窓から浜朴の黄色い花を見つけて

 夏が来たな

と感じました。
なかなか去らなかった今年の梅雨もようやく終わって、暑い夏の一日がやって来たようでした。


水に浮かぶ雲  (2009.8.2[日])

昨夜から朝まで、強い雨が降りました。
朝になるとそれまでの雨が嘘のように晴れていい天気です。
思う存分雨を降らして満足したのか、それとも空に浮かぶ雲がなくなるほど降りすぎたのか。雨が止んで半日が過ぎて陽が西の空に傾いた頃に

  30分だけ

散歩するために外へ出ました。
近頃は散歩もままならないような天気続きであったため、久々のたんぼ道の散歩です。
もっと早くに歩き始めるつもりだったのですが、あれやこれやと用事を片づけるうちにいつの間にか夕方といっておかしくない時間となってしまっていました。

歩き出した私の足下のたんぼ道は昨夜までの雨をたっぷり含んでやわらかく、草もその根本のあたりはまだ湿っているようです。半日日が照ったくらいでは、乾ききらないだけの水を含んでいるようです。
どれだけの水が空の雲から地上へ落ちてきたのか、それを表すように水をたたえた休耕田のかたわらに立ったのは、「30分だけ」と言って家を出てから1時間と30分が過ぎた頃でした。

去年までは稲がスクスクと育っていた田圃が、今年は畦に囲まれたただの窪地となって昨夜までの雨を蓄え、浅く広い水溜まりとなっていました。
立ち止まって眺めた広い水溜まりの表面には雲が浮かんでいました。
夕方の陽を受けてわずかに赤みを帯びた雲がいくつも。

雲をいくつも浮かべられるほどの水溜まりを作るくらい雨が続いたのです。これだけ沢山の雨を落したのですから、もう雨は充分。
雨を落とした雲だってきっと満足していることでしょう。

田圃の跡に溜まった水の表面には、長かった雨の季節もそろそろ終わりとなりそうな予感を秘めた、微かに紅い夕方の雲が浮かんでいました。
水に浮かんだ雲


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